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自然との共生 - 稲作文化
稲作文化の信仰の原風景を求めてインドネシアを旅する機会を得ることができました。今まとめている最中ですが、能力の無いグウは遅筆にてまだまだ時間がかかりそうですので、皆様に感じたことだけ少し事前報告いたします。まじめな「本」ができましたら、真っ先にインターネットに公開します。
皆様からのご意見やご質問などを拝聴することが出来れば幸です。比較文化の立場からでも「自然との共生」とする21世紀へ向かう人類のテーマは大変重要な意味があると考えています。
●はじめに
インドネシアではいまでも米作りが盛んに行われ、自然への畏敬を忘れない人達が暮らす国と聞いた。
イスラム教は、インド洋をまたいで、アフリカからアジアまでの広い範囲を船で交易する所謂イスラム交易圏を作った。その為、インドネシアのヒンズー教勢力は、東に追いやられと考えられてきた。
イスラム交易圏の最南端に位置するインドネシアには、それより以前にヒンズー教が印度から渡来して信仰を広めていたが、それより以前にも稲作を中心とした農民の土着宗教的な信仰もあった。
稲作は、人間が自然と向い合って智恵を生かして育んだ「科学技術」の集約である。自然に恐れを持ちながら人間の技術力を持って、稲を育て生活環境を改善しようとする発想は、本来日本も含めたアジアの稲作民族が共通に持っていたものと思う。
日本では忘れ去られてしまった伝承や儀礼が、インドネシアではいまでも息づいていた。
慣習の共通点や差異を見ることで、稲作文化を担う農民達が、自然と如何に向き合って暮らしてきたかを考える手がかりを求める事ができたインドネシアへの旅であった。
●インドネシアの自然崇拝
ヒンズー教が北方より渡来する以前より、稲作を中心とした農村では自然崇拝的な宗教が存在していた。
それは一見、ヒンズー教とも見ることができる多神教であるが、自然を強く意識し、神を人格化していない点においてヒンズー教とは大きな違いがある。
云わば「宗教以前の宗教」とも云える神在論的な自然信仰である。
日本の神道が仏教の渡来により、宗教として自覚したとする指摘は多い。神道の語源が中国語の「宗教的な真理」を意味するとも云われ、中国で出版された「神道総論」と名付けたキリスト教の解説書などがあるが、インドネシアでも、いまでこそ固有名詞を持たないが、明らかに人々の意識にはヒンズー教とは違う、別の宗教心が存在していると思われた。
仏教が日本において変容したように、ヒンズー教も彼の地で大きく変化した。
地域的違いもさまざまな様だが、取り分け 水 - 太陽 - 火 の3神が大きな神として神格化されている。
●神の存在
農村ではいたるところに社があるが、そこに常に神様がいるとは考えられていない。人間が意識したとき、その社に神々が訪れるのだそうだ。
彼らの説明を聞くとき、神に対しては、一般的な時間とか距離感などの「理論」を持っては、うまく説明できないでいる様子であった。
聞いていると「あそこ」と「ここ」の区別がつかなくなったり、「居る」とも「居ない」とも説明できないでいる。 聞いているうちに「私達は神の体内にいるのか」としか理解できない事が何度かあった。
農村のいたるところにある社は、周囲の善なる神様や悪なる神様達と交渉しながら、農作物の豊作と家内家内安全を祈る為にあると説明された。
農民の信仰対象は、自然に対する畏敬から生まれる。雨も適度に降れば恵みであるが、豪雨になれば災いとなる。日本でも八岐大蛇は荒れ狂う恐ろしい神となっているが、その龍の良い心は「高オ神」、悪い心が「闇オ神」として二柱が同時に奉られている。
農民と神との関係は、交渉とバランスが問題となる。自然の中に「砦」を作り、まわりを恐れながら生きてきたとも云える。
車の通る道路には、日本の道祖神にも似た社が置かれいる。交通量の多い三差路の中程にも社が奉られていた。
道路脇の警察署では「あれは交通安全の為の神様が奉られています。神様に名前はありません。神様は人間が必要とした数だけいます」とのことであった。
みやげ物屋の軒先では、道路に向かって商売繁盛を祈る女性がいた。道路に花と水と米をまきながら「祈り詞」をつぶやいていた。
またその女性に通訳をしてくれた若者は「就職のお願いがかなったから、最初のサラリーは神様へお供えしました」と自分の経験を話してくれた。
●神社
 
日本風に云えば「庭内社」らしき存在だが、農村を歩くと必ず個人の住宅の中にも社があった。
粗末な社ではなく、どの家でも立派な「神社」として作られていたが、神様を象徴する様な物はなにもなかった。一つのお宅でも幾つかのお社が建てられているが「神様を意識したときには、居てくれる」と考えている様子だった。
コカコーラーの工場の中にも社がある。聞けば商売繁盛と工場の安全を祈る場所だそうだが、ここでも神様には名前はないと云われた。
建築様式にはいろいろあるが、いくつかの家で伊勢神宮と同じ「米倉作り」らしい印象を受けた。いたるところに社がある。田にも道路にも住宅にもである。
日本の明治時代、神道は、国の政策から祭神を特定することを厳しく求められた。神道を西欧のキリスト教の様に制度化し、宗教教育をするモダンな国柄を先進国に示す必要に迫られた時代であったが、当時50万とも100万とも云われた神社は統合され、現在の8万社にまで激減している。無論、屋敷神や屋根神様など数には入らない存在であったはずであり、それ以前の社の数は想像すらつかない。
神様の名前や存在など意識していない農民が、役人の勧めるまま「天照大神」を奉り、神社の名前を「神明社」とした調査報告が幾つかあるが、無頓着に社が点在し神々と共に生きてきた日本人が、戸惑いながら神に固有名詞を付け人格化していった時代があったことを振り返ると、インドネシアには本質的な「神道的意識」がいまでも残っているのだろうと感じ、嬉しい思いがした。
●他界感と黄泉の国
家族に死人がでると自宅の社には奉らない。埋葬は代々決められた墓所があり、その埋墓に鎮められる。死者との距離感には、埋墓と自分との現実的な距離感をもって明確に答えてくれる。古事記の「黄泉の国」その物である。
死者がその墓に鎮まるには20日が必要だと云われた。神道にも「中有の50日」があり、黄泉の国にたどり着くのに必要な日数と云われている。何の為の20日かは判らなかったが、死後もそこに留まって家族の一員である点は強調していた。「違いは、生きてる人間に見えるか、見えないだけ」とも云っていた。
日本人の他界感に強く影響を与えた陽陰思想は全く見ることができなかった。日本人に「死ぬとどこへ行くのでしょうか」と尋ねると、「山です」「空です」「海です」とさまざまな答えが返ってくる。神の存在も、天つ神と国つ神の2つの立場があるとする日本では、中臣祓や大和日高見国を尊重すれば、ヒモロギに降臨できる神様は誰だろう。ヒモロギに神が降臨できれば、立て玉串や諏訪の御柱がケズリカケの様に空を飛び願いを届けることも叶わなくなるし、天つ神がヒモロギに降臨できれば中臣祓や大和日高見国の存在理由がなくなる。アイヌに象徴される縄文人と南方民族のもたらした弥生文化が日本で変容した。インドネシアを観察すると神道儀式において矛盾が多いことに考えさせられる。日本人の信仰心にも制度の枠には収まらないたくましさがあるのかもしれない。
●氏神信仰
「Clan Gods」と表現する地縁や血縁に基づいた信仰が力強く存在していた。農民が集まり五穀豊穣を祈る祭が中心であるらしいが、米庫作りの社殿の前に集まり、祭壇を前にお供えをして豊穣を祈る祭に参加できた。祭は当屋が仕切り、皆に変わり祈願文を読み上げる。その後は、お供えを下げ神様からのおさがりとして参加者が皆で食して終わる。
当屋は、日本の神職と同様に専門職がいた時代もあったようだ。Baliでは土地の王の弟が努めていた時代もあった様だが、他のアニミスティックな宗教と同様に、宗教的権威と政治的権威は、混同しないとする配慮が伝統的にあったようだ。現在では、祭のすべてが参加者の分担作業になっている。
いまでも村単位で活動的な祭が沢山あるようだ。村の若衆組が商店街を練り歩いている光景を見ることができたが、その時「日本でも東北に行けば、こんな情景をみる事ができるのかな」と漠然と感じて、なぜか懐かしい気持ちに駆られた。
●水と農業
Bali島にはBratan湖がある。山の中腹に位置した静かな湖だが、そこは女性の水の神様が祭られている。その女性の神様は、Baliの農村に水を与える大切な神様とされていた。日本の白山信仰にも浅間信仰にも似た信仰であるが、いろいろな伝承があるらしかったが、それよりも現在も新しい伝承が生まれているらしく、今の米作りの信仰と日常的な生活を比喩するよう伝承を捕らえることができる面白さが感じられたが、実際に拝聴する機会は得られなかった。
●日本での産業化
日本の農村部において、村組や秋祭りの担い手が激減し、いままで伝承してきた生活の構えなどが伝えられないまま朽ち果てて行く状況がさまざま報告されている。
産業革命に象徴されるような大規模な工業化が起きてくると大量消費を目的とした市場を創出することが必要になってくる。それまで小規模に作っていた手作りの高価な商品にかわり、工場での量産化から廉価に販売する相手を大勢見つけなければならない。アメリカ合衆国の南北戦争は、生産地として豊かな南部に働く黒人労働者に対して、北部の「商人たち」が大量生産された「商品」を売りつけようとしたことに端を発している。日本でも西洋列強の圧倒的な力を知り開国をはかった江戸時代末期の幕府や、「脱亜入欧」を掲げた明治新政府の興味は一応にして工業化にともなう富国強兵であった。
●日本の人口移動と都市化
発展途上の国が過渡的な問題として思想的統一を計り、経済的には、自ら工業化を推進するために強力な資本蓄積を行い、同時に大衆を低い生活にとどめながらも労働力だけは、過酷に要求する宿命がある。これを通過しなければ先進国の仲間入りは不可能とも云える。映画「野麦峠」では、農家の子女が職場環境の劣悪な都会の工場に住み込みで働き生糸を生産していた。「2・26事件」は、貧しい農家の次男や三男が軍人となり、その妹たちが売られて行く「やり場のない悲しみ」が、発端となったクーデターである。
工業化が集約型産業として成長する過程で多くの労働者を求めるようになり、農村の次男や三男たちは都会にその職場を求めるようになった。住み慣れた農村を離れた人達は、都市生活者としてそれぞれに都会で暮すことになり、それまで世代間で継承されてきたさまざなな「生活の知恵や制約」は受け継がれないままふるさとに残る。
単身者を大量に迎えた都市は肥大化し、制約の度合いの低くなった都会生活において婚姻の自由度も増すことになる。結果、出身地域や家柄の違う「自由婚姻」の割合が大幅に増え、新たな家庭像や価値観が都会生活者において求められれる様になる。これが先進工業国のありていな構造であった。
●ジャカルタ
インドネシアには約2億人が暮らし、その1割がジャカルタで暮らしている。1980年代の経済成長は富をもたらし、ジャカルタには高層ビルがいくつも建っている。人口数からしても利便性からしても東京と変わらない暮らしがそこにあり、例えばアメリカからの経済的な距離感からすれば、日本よりむしろインドネシアの方が近く感じられる場合も多い。
税金の問題から車の普及は日本ほどではないにしろ、日本よりは広い一戸建ての家を持ち、携帯電話を持ち、オフイス街に毎日通い、一見満たされた生活を謳歌している。
しかし、日本の産業化や都市化と同じ悩みを抱えていることも確かである。急激な経済成長は、さまざまな歪みを持ったままである。インフラはジャカルタに集中し、地方との格差は開く一方で、ジャカルタ人からすると地方の人は「外国人と同じ」なのだそうだ。
またジャカルタの過密は東京と同じである。経済危機は脱したものの都市の基盤整備はいつも後回しになる。人々は都会にあこがれ農村を捨て、現在でも急激に人口が増え続けている。そして都会で搾取されたり、都市型犯罪や貧困層を増やしている。
●科学の進歩と拝金主義
科学技術の進歩、取り分け産業革命以降の工業化は、人々の物質至上主義を増幅し続けている。「進歩とは神話にすぎない」と識者が云う。「文化はシーソーだ」とも云った。進歩するものがあれば、退歩するものがある。失うものなくして、何も得ることはできない。
自分の生き方を「収入」でしか計ることのできない、いびつな拝金主義者は今も昔もいる。どこにでもいる。そして既に日本では古来からあった神道的畏敬は忘れ去られたと思う。
科学万能でも自然保護一辺倒でも、我々の生活が成り立たないことがはっきりした今、我々はインドネシアに残った自然と向き合って、見直し聞き直しながら生きる智恵を再度蘇らせる必要があると思う。21世紀には自然との共生が人類の大きなテーマになるはずである。インドネシアの田舎には今でもその可能性を見いだす事ができた。
心豊かなインドネシアの人達の生きざまに感動した。インドネシアの農村で写真を撮ろうとすると、はずかしそうにするおばあちゃんがいた。そこには私が理想とした日本の農村の姿そのものがあった。
いつまで守り伝えることができるであろうか。
ありがとうインドネシア。
ドーナッツ・オン・ミール-Donut on Meal
地球環境の破壊が顕著に現れる程になり、地下資源の枯渇や生物の生態系等の保護について、今までのいわば「人間中心的」な倫理に代わる新たな価値観が求められる様になりました。
理論的には、
(1)自然物そのものに生存の権利を認める。
(2)世代間にまたがる生存可能性を保証する責任が現在の世代にある。
(3)資源と環境が本質的に有限であることを前提とする。
の3点が、一部、世代間責任は認めるが自然物の生存権は認めないとする立場がある以外は、多くの識者の間で合意されています。保護対象として人間だけでなく自然物までも含む理論体系が緊急に必要である点で誰しも異論はないでしょう。
しかし、現実の日常生活はまったく逆の方向に向かっています。衣食住、なにを取っても破壊と搾取の上に成り立ち、目を閉じると「人間は破壊に向かって突き進む意外にない」と悪魔のささやきが聞かれ、儚くて「生きている事自体が、悲しくなる」こともあります。
社会学に「進化論」というタームがあります。総体的な社会意識が、人々を倫理・秩序づけたりて人間を規範づけるものとすると、その様な意識の投影される場所は、絶えず社会や個人をその生存のために「自律的」に統合する機能を発揮するはずだと考えらています。
未開社会や農村的な閉鎖社会が特徴として示しているような古風な社会では、特定の宗教的価値観や宇宙観が、そのまま社会構造を秩序だてる単一的な社会が構築されます。そして時間が経過し他の部族との交流がはじまり、社会システムが複雑化し拡大すると、その意味体系も洗練され普遍化する事になります。過去の固有の意味体系は、新たな社会との関係でより普遍化せざるをえないことになり、この普遍化してゆく過程を「進化」と呼ぶ訳です。
しかし何にでも既存価値観に根ざした「既得権」が存在します。普遍化する過程で必ず軋轢を起こしてきました。民族や政治の争いや富の分配、ガリレオへの教会からの弾圧も同根です。石油燃料の枯渇を心配しても、自ら車を手放せない我々や、生体系の保護を求める国際会議に、毛皮を着込んで参加した日本女性の存在は象徴的ですが、しかし誰一人笑うことの出来ない人間の悲しい「既得権」の所産なのです。
カリフォルニアの一般的な家庭には「リサイクルボックス」があります。その中に空き缶などを誇らしげに貯めて回収させています。お洒落なショッピングモールの包み紙は再生紙利用を誇示し「環境を考えること」がカッコイイとした気風もあります。この先、地球環境を考慮した劇的な「進化」を成し遂げるためには、1つは人間の「既得権」の扱いが問題になり、1つは「環境への配慮は、カッコイイ」とするイメージアップや教育がキーポイントとなると思います。
しか人間の価値観や可能性を問われるテーマである以上、あくまでもその主体は個人の生き方に帰結します。誰が始めたかはっきりしませんが、いまでは結構有名な「ドーナッツ・オン・ミール」という運動があります。例えば「毎日曜の昼食を取らない」と自分で決めて、自分一人で実行する。ただそれだけ。出来る範囲で自分の消費をセーブし、最終的には広く社会の為になれば善とする考え方です。だれでも今日から一人で出来るはずです。そして大切な事は、何につけ「ドーナッツ・オン・ミール」を意識することにあります。
そしてそのドーナッツの意味は「みんなで輪になって!」と解釈してもらいたいのです。(グー)
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